山梨県南巨摩郡身延町身延山 定林坊

定林坊について

定林坊の歴史

定林坊は、戦国時代(1576年)に身延山久遠寺の第15世の住職である日叙上人によって建立されました。当時は戦国時代の軍雄が各地に戦い、世上は大いに乱れており、身延山にもその影響がありました。『本化別頭仏祖統紀』の記すところによれば、武田信玄が身延山へ居城を移そうとしたところ、日叙上人はその申し出を断り、一時山は包囲され攻め落とされそうになったが、神仏の加護により事なきをえた、という逸話残っております。当山はその日叙上人の院号(亡くなったときの称号)をとって正式には身延山宝蔵院定林坊と称します。現在は支院(身延山を支えるお寺)として、第37世まで歴史を紡いでおります。

また本堂には、霊鷲院日審上人の像が祀られております。日審上人とは江戸時代、諸国を布教して廃寺を興し、10000回以上の法話し、90000人に布教をしたという説法の達人です。学問やその学問を世に広める話術に関してご利益があります。人前でお話をする仕事の方、どうしても通さなくてはならない案件のプレゼンをする方、緊張して恋人に自分の思いがうまく伝えられない方などぜひお立ち寄りください。

定林坊の詳細情報

ご本尊 日蓮上人像
日審上人像
大黒天
鬼子母神
創建時代 1576年(戦国時代)
開山・開基 日叙上人(15代目の身延山久遠寺の住職)
ご由緒 定林坊は、戦国時代(1576年)に身延山久遠寺の第15世の住職である日叙(にちじょ)上人によって建立されました。
当時は戦国時代の軍雄が各地に戦い、世上は大いに乱れており、身延山にもその影響がありました。
『本化別頭仏祖統紀』の記すところによれば、武田信玄が身延山へ居城を移そうとしたところ、日叙上人はその申し出を断り、一時山は包囲され攻め落とされそうになったが、神仏の加護により事なきをえた、という逸話残っております。
また本堂には、霊鷲院日審上人の像が祀られております。
日審(にっしん)上人とは江戸時代、諸国を布教して廃寺を興し10000回以上の法話し、90000人に布教をしたということにあやかり、学問成就のご利益があります。
また、出生にまつわる『幽霊子育飴』伝説が有名です。
夜な夜な一文銭を持って飴を買いに来る女性がいた。
7夜目の一文銭は「しきみの葉」と化し、不審に思った飴屋が女性の後を追うと墓地の前で忽然と姿を消した。
ある墓から赤ん坊の泣き声が聞こえたので、お寺の住職と一緒に墓を掘り返してみたことろ、壷のなかには母親の亡骸に抱かれ飴をくわえた赤子がいました。母親は赤子を身ごもったまま亡くなり、幽霊となって六文銭(三途の川を渡るために入れられる副葬品)で飴を買いにきていたのです。
助けられた赤子がのちの霊鷲院日審上人です。
そこから「壺日審さま」と呼ばれ全国の布教とともに、その伝説が広まったことから、【子育て・安産】のご利益もあります。
住所 南巨摩郡身延町身延3571
最寄駅 塩之沢駅
行き方 身延駅から車で10分。
身延山久遠寺から徒歩5分。
新宿駅から高速バスで3時間。
身延山久遠寺三門を向かって左手に進むと、清水商店さん(土産屋さん)が見えてきますが、ちょうどその前あたりの坂道に「定林坊」の石碑がありますので、それが目印です。
こちらの動画で身延山三門からの道案内をしております!!
https://youtu.be/OA-7EtL-_4k
駐車場 お寺の下に駐車場があり、10台ほど駐車することができます。 ※チェーンが張ってありますので、一言お声がけ頂ければ幸いです。

定林坊の写真

本堂